2012年08月01日

The Servant, by James C. Hunter

休暇中、「サーバント・リーダー」を読んだ。1998年に出た本を2012年に再度翻訳したものらしい。ともかく、15年程前に書かれた本だ。
 キリスト教の修道院を舞台にしているので、少々宗教臭い部分は否めないが、「論語」などの中国古典を読んだことの無い人は、ぜひ読むべきだと思う。基本的に、既に部下を持っている人か、間もなく部下を持つ人が対象で、それより前の段階にいる人にはちょっと早すぎるかもしれない。
 それにしてもIT革命真っ只中のアメリカでこのような本が刊行されたという事実は興味深い。

 一言で言うと、「servant leadership」とは儒教の「仁」とほぼ同じ概念で、この本は、それをコンサル風に分析&理論化し、小説風に書籍化した本と言って過言ではないと思う。著者もこれが新発見というより再発見であることを自覚しているのではないかと思うが、元敏腕経営者の修道士によって修道院で行われるリーダーシップ研修を舞台にし、キリストやガンジーの例を挙げながら、主張を展開している。
 キリストが生きたのは言うまでもなく2000年前。孔子が生きたのは紀元前500年頃。要するに、少なくともそのくらい昔から文書化され提唱されていることと本質的には同じ。当然ながら、古典好きにとっては目新しい概念ではない。
 しかし、それを現代風に注釈を施した、もしくは、論理的に説明し直したおかげで、近代教育を受けた者、特に理系頭には理解しやすくなったと思う。そういう意味で、良い本だ。

 この本では、「権力」と「権威」を厳密に定義し、「権力」を用いて人を従わせることが終わった現代においては、「権力」ではなく「権威」を以って人を導くべきであると主張している。そして、「権威」を身に付けるための行動規範が提唱されている。
 この主張に至るまでの論理展開は、私がP&Gの研修でさんざん叩きこまれた「consumer is boss」というフレーズに代表される概念ととても似ていて、私にとっては理解しやすい話だった。
 正直に白状すると、私は中国古典好きで、「仁」については概念としてはよく理解していたつもりでいたが、具体的な行動規範にまで落とし込めていなかったことを思い知らされたし、いくつかの点で自身の行動を大きく反省する材料になった。

 良い本だと認めた上で敢えて言う。この本で提唱される行動規範は、言わば「平時の兵法」であって「戦時」にも使えるかどうかは疑問だ。
 言い換えると、ある程度の知性があり感情の起伏を抑えられる相手に対して、かつ、人間関係を築く時間的余裕がある場合に有効な手立てであって、そういう条件が揃わない環境下では成り立たないのではないかということである。
 いや、やはり、はっきり言おう。世に「力なき正義は無力」という言葉があるように、きれい事が成り立たない場面はある。

 この本の強烈な弱点は、この本の中でも問答の形で登場する。ここで提唱される行動規範を導入しようとした組織で、その行動規範を実行しない者がいた場合にどうするか、という問いに対し、いろいろ言葉を尽くして答えようとしているものの、要約すると「組織から追い出せ(もしくは、追い出すと脅せ)」という回答で、実につまらない。
 「権力」ではなく「権威」を用いてリーダーシップを発揮せよと提唱しておきながら、従わない者がいたら「権力」を以って排除せよと言っているのだから、理論的に脆弱と言わざるを得ない。
 実際、キリストは弟子に裏切られた上に処刑され、ガンジーは暗殺された。おそらく、「キリストもガンジーも、個人としては命を落としたが、その思想は死後も滅びなかった」と主張する人もいるだろう。しかし、この本が提唱する行動規範が通用しない相手がいるのは明白だし、この行動規範を用いてリーダーシップを発揮したいと思う人が個人として失脚することを喜ぶだろうかということを考えると、この本で提唱している行動規範は理論的に未完成な部分が残っている。

 そういう弱点はあるものの、「権力」を用いるのは最終手段とし、まずは「権威」を以って人の行動を引き出すことを善しとする考えには大いに賛成するし、ベンチャー企業でも大企業でも凡そ組織の長となるものは、そう心がけて欲しいと思う。自分自身も、「権威」を身に付けるために自らの行動を省みる必要を痛烈に感じた。
posted by 角田 健治 at 00:26| Comment(0) | TrackBack(0) | ベンチャーキャピタル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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