2010年09月11日

モンゴル

 草原を馬で疾走したいと思い、9月6日から一週間ほどモンゴルに行っていた。途上国に行くといつも起きることだが、やっぱり少しお腹が痛い。それはともかく、期待以上の旅になり、満足だった。

 成田からウランバートルへ直行便で移動後、ウランバートル市内で一泊。
 翌朝、50kmほど離れたウランバートル郊外のツーリストキャンプへ移動する途中、遊牧民のゲルを訪問し、家庭料理(というか、馬乳酒と自家製乳製品)を味見した後、馬の乳絞りを体験し、モンゴル相撲をした。馬乳酒は有名なので、一度は飲んでみたかったが、体質的に一切アルコールが飲めないので、文字通り、一舐めしただけ。ヨーグルト風味の炭酸飲料のような味だった。大塚製薬のsoyshと少し似ている。アルコール度数は3%程度らしく、遊牧民達は水代わりに飲んでいた。というか、彼らはほとんど水を飲まず、代わりにミルク(牛、馬、羊、山羊のどれか)か馬乳酒を飲むらしい。たいてい魔法瓶に入ったホット・ミルクが出される。それも単なるミルクのことは少なく、少しお茶の葉を混ぜて、ミルク度が高いチャイのような状態で、それが彼らにとっての「お茶」らしい。自宅で牛乳を水代わりに飲んでいる私には「あり」だったが、同行していた他の旅行客には不評だったようだ。
 チーズはいろんな種類があるが、堅かったり酸味が強すぎたりして、あまり好みのものがなかった。そんな中、唯一、食べやすかったのは「生バター」だった。牛乳を煮詰めて作っているらしいが、生クリームとバターの中間のような見た目で、甘くないカスタードクリームのような味。パンに塗って食べると、いくつも食べられる。

 三日目、ついに乗馬。一日に6時間も乗るのは初めての試みだったが、私の技量では前半の3時間で既に脹脛と太腿がパンパン。日本でも何度も乗っていて駈足までは一応できるので、馬の持ち主であるモンゴル人遊牧民と一緒に最初から激しく走り過ぎた。しかし、それに勝るほど楽しい。
 モンゴルの馬は、サラブレッドより一回り小さく、揺れも小さいので乗りやすいと聞いていたが、実際は揺れが小さいからというより調教が行き届いているから乗りやすいと言った方が良い印象。日本の馬のように大事にされていないので、その分だけ従順なのではないかと思った。
 四日目、さらに乗馬3時間。不思議なことに脹脛の痛みは消えていたが、太腿、腰、背筋の筋肉痛が激しい。それでも、このために来たのだからと馬に乗った。この日の同伴者は、他の旅行客が乗馬をキャンセルしたので、ツアーガイドと遊牧民の二人だけ。ツアーガイドも遊牧民出身なので、乗馬は自転車に乗る程度のことらしく、上手いし、私と違って身体のどこも痛くないらしい。
 他の客がいないので、三人と三頭で走りまくった。身体は痛かったが、しばらくすると麻痺してきて、痛みを感じながらも楽しめる程度になったので、馬を全力疾走させて競争したり、駈足で十数分くらい何キロもの距離を走り続けたりしていた。
 一緒に走った遊牧民は疾走時に、鐙の上に立ち、馬の背に一切触れずに乗っているのに気付き、少し教えてもらいながら、真似をして、「立ち乗り」を覚えた。何度も落ちそうになったが、いったん、できるようになると、これは尻が痛くないので、なかなか良い。
 私が立ち乗りをできるようになると遊牧民が馬に乗ったまま掴みかかってきて、驚いていると、ツアーガイドが「モンゴル人は、馬で走りながら相手を掴んで馬から引きずり落とすという遊びをします」と平気な顔で言う。片手で鞍を掴み、もう一方の手で引っ張り合いをしつつしばらく走った。何とか落とされずに済んだが、客相手に恐ろしいことをするヤツだと大笑いした。私がそこそこ乗れたのと、年齢が近かったので、親近感が湧いたのだろう。そう思ってもらえるのは私も嬉しい。
 前日も含めて9時間、もはや何キロか分からないほど走ったが、「どこまでも行っても、草原」という状態を大いに堪能した。ところどころ遊牧民のゲルがあり、家畜の群れがいるが、だいたい視界の届く範囲に他のゲルが見えることは稀で、お隣さんとの距離はかなり離れている。「広い」という言葉が物足りないくらい広い。景色もほとんど一緒なので、遠くの山の見える角度でおおよその位置を測っていた。
 そんな果てしなく続く草原を、馬と一体となって風に成るような爽快感は忘れがたい。
mongolia.jpg

 五日目、ウランバートル市内を観光。思っていたよりずっと豊かなようで、結構良いクルマが走っている。街の様子は、ジャカルタをやや上回るが、北京にはほど遠い発展具合の街という印象。それでもジャカルタ以上というのが、意外だった。人口わずか270万人の国だが、自由経済に変えて20年、ある程度上手く行っているのだろう。ジャカルタではバイクが主流だが、モンゴルではバイクはほとんど走っておらず、圧倒的にクルマ、それもSUVが多い。冬は-40度にもなるモンゴルでは夏くらしいしかバイクが使えないし、舗装されていないところを走行することが多いからだろう。しかし、途上国らしく、運転マナーはとても悪い。

 今回の旅行で最も印象的だったこと3つ。
 1、遊牧民の気配りの細やかさ。以心伝心という言葉があるが、言葉を使わなくとも、仕草や視線で他人が何をしたがっているかを読み取って、それを手助けしてあげる力が、とてつもなく強い。日本では「かなり気の利く人」が遊牧民では「平均」に見えた。最初に驚いたのはクルマの運転手だった。サービス業だし、たまたまその人だけかと思っていたら、その後もずっと続く。会う遊牧民(遊牧民出身者を含む)が、皆、そんな調子なので、どうやらこれは遊牧民全体に共通することなのではないかと思った。ウランバートル育ちの人は違うようだ。私がそう思ったという話を遊牧民の中年男性にしたら、「遊牧民の生活ではそういう能力が無いと上手くやっていけないからだろう。そういう能力を日本人が失ってしまったのなら、日本は残念だな。」と言われた。ごもっとも。
 2、戦闘民族の文化。乗馬で突然仕掛けられた引っ張り合いもそうだったが、ちょっと親しくなるとすぐにモンゴル相撲だとか腕相撲だとか、とにかく力比べをしたがる。わけを聞くと、モンゴル人の宴会は、いつも最後にケンカをするらしい。ただ、よく話を聞いてみると、日本で言うケンカのようにいがみ合って始まるケンカではなく、格闘技の試合のような取っ組み合いを指しているようだった。遊牧民の生活や育った環境を聞いていると、どうやら、彼らの「遊び」には「戦い」の要素がやたらと多く含まれているという表現が正しそうだ。
 3、天地の本来の姿。夜の天と、昼の地である。馬で駆け回った草原は久々に「大地」という言葉を思い出させてくれた。「土地」ではなく、「大地」である。モンゴルに着いて間もない頃、どこの草を自分の家畜に食べさせるかで遊牧民同士が争うことはないのかと訊いたら、「無い」という回答だった。基本的に早い者勝ちで、先に誰かがいたら、他へ行く。草なんていくらでもあるのに、どうしてそんな事で争わなければならないのかと不思議そうだった。それもそうだろうと思う。この広い大地を見ていると、小さな土地を争うことがバカバカしく思える。そして、夜になると見える星空。素晴らしかった。まず、雨の少ない気候なので、雲がほとんどない。クルマで少し移動すれば、視界の届く範囲に全く光がない場所から空を見上げられる。この二つの理由で、プラネタリウムのように何にも邪魔されない完全な空を見ることができる。東京だと天の川がどこにあるのかよく分からないような程度にしか見えないが、ここでは、探す必要もないほどハッキリと見える。肉眼では六等星が限界だと言うが、もう一段暗い星まで見えているのではないかと思うほどの星の数。流れ星も数分に一回くらいの頻度で見える。これが本来の天地の姿なのだろうと思った。
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2010年03月23日

雑誌デビュー♪

と言っても、ほんの少しですが、3月24日発売のGQ JAPAN 5月号に掲載されました。92ページです。

 東京大学の産学連携本部では、毎年、『アントレプレナー道場』という講座(と言っても単位は出ない)を開いていて、2009年度から私もそこで東大生相手にメンターとして指導しています。このアントレプレナー道場がGQに取り上げられたので、私もめでたく取り上げてもらったというわけです。
 メンターは十数人ほどいて、弁護士、会計士、コンサルタント、銀行員などなど、みなさん何らかの形でベンチャー企業と接している人たちです。
 アントレプレナー道場には初級から上級まで三段階あって、段階を進むごとに人数を絞っていきます。そして上級に辿り着いた学生には3〜5人くらいのチームを作ってもらい、各チームに私たちメンターが1〜2人付いた上で、ビジネス・プランを一つ作ってもらうという仕組みです。
 今年、私が担当したチームには教え甲斐のある学生がいて、ついついこちらも熱が入る感じでしたが、結局、このチームは、アントレプレナー道場卒業後もそのビジネス・プランを発展させて、キャンパス・ベンチャー・グランプリ全国大会で3位を獲得したそうです。私の手を離れた後にも関わらず、この活躍のおかげで私が雑誌の取材を受けることになったようです。ありがたい話です。

 今回掲載された私のコメントは、ページの1/6程度に収まる程度のものでしたが、実は、これは1時間のインタビューの成果です。しかも、文章の校正も2回やっています。わずか1/6ページにそれだけのエネルギーを注ぎ込んで雑誌というものは作られているのだなぁと実感すると、その雑誌一冊がとても重いものに感じられます。
 今後、雑誌を買ったら、1ページも粗末に扱うことなく読まなくては申し訳ないなと今日は思いました。・・・なかなか実行するのは難しいですけどね。
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2010年03月16日

セルシード 上場

セルシードがJASDAQ NEOに上場した。私にとって、4社目となる投資先企業の上場だ。公募割れだったが、ともかく、一つの壁を突破したことを祝いたい。

 セルシードに最初に投資したのはもう4年以上も前だ。角膜の再生医療を手掛けるベンチャー企業で、私がベンチャーキャピタリストという職業に就く前、雑誌に取り上げられているのを見て履歴書を送ろうかマジメに検討した会社だ。その時は、博士号を持つ研究員を募集していたので、修士の私ではダメだろうと諦めたが、その頃から注目していたので、投資案件として目の前に現れた時は、最初から投資する気で臨んだ。明らかにそのせいだが、今から思えば、かなり甘い調査で投資しており、投資してから半年くらいで自分の調査が甘かったことを思い知る羽目になった。
 調査不足だったのは厚労省の動きだ。
 当時の私はまだまだ駆け出しで、その重要性が分かっていなかった。すなわち、ちゃんと書類を出せば治験ができると思っていたのだが、全くの認識不足だった。
 再生医療や遺伝子治療などの先端技術には、当時の厚労省は今以上にとても慎重で、それらを開発していたベンチャー企業は軒並み足止めを食らっていたのだ。
 2006年頃のセルシードもまさにそうだった。おそらく2年近くほとんど進展が無かったのではないだろうか。
 しかし、この会社は、ある日、プラチナ・チケットを手に入れた。フランスの角膜手術の権威が関心を持ち、その人の導きでフランスで治験ができるようになったのだ。
 また、とても優秀な人材をCFO(後にCSO:最高戦略責任者も兼務)に迎え入れることができたこともあって、この会社は「問題児」から「有望な投資先」に変貌を遂げた。
 この一連の過程を見ていて、私は「技術が良いだけではベンチャーは成功しない」「企業は人である」という認識を心に深く刻んだ。
 研究開発型ベンチャーが陥りやすい罠に一度はどっぷりはまりながらも、それから這い出し、見事に飛躍して見せたセルシードは、私にとって、特に思い出深い企業の一つだ。
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2010年03月07日

タクシー王子 川鍋一朗

 川鍋一朗さんの講演を聞いてきた。

 日本最大のタクシー・ハイヤー業者である日本交通の三代目社長となる運命を背負って生まれ、ノースウェスタン大学でMBAを取った後はマッキンゼーで武者修行し、家業を継いでからはコンサルのノウハウを生かした経営改革で話題を読んだ「タクシー王子」である。
 ネットを検索すると、一部では非難もあるが、それはどこの世界でも目立つ存在に対して向けられるものであり、賛否両論あるというくらいに受け止めておけば良いと思う。

 1時間ほどの講演だったが、自ら「頭でっかちなコンサルタントが実業に取り組んで始めて理解した」と表現された、苦労と喜びを聞かせてもらえた。繰り返し、「考える」より考えたことを「実行する」方がずっと難しいと仰っていたが、短い言葉でありながらも実感のこもったトーンから、重みが伝わってくるような気がした。
 ベンチャーキャピタリストは、ベンチャー企業に投資した後、その投資先企業のコンサルタントとしての役割も果たす。現場を知らず(十分に理解せず)に机上の空論を展開してしまわないよう、自分も気をつけねばならないと身が引き締まる思いであった。

 「タクシー王子、東京を往く」という本も出版されているが、川鍋さんは、現場を知るため、1カ月、タクシードライバーとして働いたことがある。その時、「万が一、事故を起こして社長が死んだらどうする」とか、「道路交通法違反で捕まったら、マスコミから格好の的にされる」とか、「他のドライバーより低い売上しか上げられなかったら、示しがつかない」とか、案の定、周囲からはいろいろ反対意見が出たそうだ。この反対を押し切って、遂行した川鍋さんは立派だと思う。なぜなら、矢面に立ったからだ。
 この話を聞いていて、同じく創業家の出でありながら社長に就いた、トヨタの豊田社長のことが頭をよぎった。

 一般的に、創業者以外の創業家出身者が社長にいるのは小さな会社で、ある程度大きな会社(特に上場企業)になると、創業家出身者は社長どころか経営陣にも入らずに大株主として残ることを選択することが多い。社内にいたとしても社長ではなくせいぜい取締役の一員を務めるだけに留めるような選択をする。理由は明白で、非難の的になりやすいからだ。
 企業の経営はいろんな要素が複雑に絡み、予期せぬ出来事も起こる。極めて優秀な経営者と呼ばれた人でさえ、金融危機のような不可抗力で業績を落とし、失脚することがある。経営者が創業家出身者の場合は、本人に実力があろうとなかろうと、「創業家の出身だから社長になれたんだ」という嫉妬による非難を受けやすいこともあって、創業家出身者でない経営者の何倍もの非難を受けることになる。一方で、そのくらい大きな企業の創業家であれば、働かなくても生きていけるだけの資産を持っているので、わざわざそんな非難を浴びるリスクを取って、目立つ立場になろうとしないわけだ。もちろん、サントリーのようなケースもあるが、かなり稀である。

 今、トヨタの豊田社長は矢面に立って非難を受け止めている。そのストレスは尋常ではないに違いない。
 前述の、川鍋社長がタクシードライバーをやろうとしていた時に反対していた人たちも、こういう非難を受けることを警戒し、会社や川鍋さんを思って反対していたのであろうから、責めるわけにはいかない。
 そんな中、反対を押し切るのは容易でなかっただろうと思う。反対があっても矢面に立つということはとても勇敢な行為であり、尊敬されるべき決断であると思う。
 「矢面に立つ」、これは私の好きな生き様の一つだ。
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2009年11月21日

ペイントボール

 とてもおもしろかったです。
 パスポートを見せて米軍基地内に入り、退役軍人と一緒にサバイバルゲームなんて、なかなか衝撃的な体験でした。
 これは、いくら言葉を尽くして説明しても、実際にやってみないと分からないのではないかと思いますが、銃の戦いが自分の慣れ親しんだ拳や棒のケンカといかに違うのかを痛感しました。戦国時代に鉄砲が伝来した時、同じ衝撃が日本中に走ったに違いありません。まさにゲームのルールが変わったのだろうと思います。

 何が違うのか。

 強いて一言で言うなら、力や技の戦いから確率の戦いに変わるということです。
 もちろん、銃の戦いでも、射撃技術、戦略、チームワークはいくらか影響します。でも、それ以上に大きな影響力をもたらすのは、弾数と人数なんですよ。
 言いかえると、戦いを構成しているいくつかの要素には、戦いの結果にどのくらい影響するという重みがあって、その重みの傾斜が拳や刀の戦いと銃の戦いでは全く違うということです。
 一つ例を挙げると、体の大きさという要素は、肉弾戦では大きいほど有利に働くわけですが、銃撃戦では小さいほど有利なのです。ね?根本的に違うでしょう?
 理屈で考えれば当たり前のことも、実際に体験すると強烈な衝撃です。自分が銃撃戦でこれほど弱いとは、最初、とても納得できませんでした。机上の空論と生の経験の差ですよね。

 本物の兵士は、こういうシミュレーションを経験した上で実戦に臨むのでしょうが、シミュレーションをしたことのない者が行けば、一瞬で殺されるだろうと思いましたし、同時に、こんなに簡単に不意に受けるたった一発の銃弾で命を落とすと思うと戦場に出るのはとても言葉では言い表わせないほど怖いだろうと思います。
 自分は今まで銃をナイフと同じ程度にしか怖いと思っていませんでしたが、単なる無知だったことを思い知らされました。
SoldierKakuta.jpg
posted by 角田 健治 at 22:55| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月09日

11月26日、東京大学にて講演します。

60人ほどの小さなセミナーですが、講演します。学生相手ではなく、全国各地の大学で産学連携や大学発ベンチャーに関わっている大学教授など、立派な大人たちを相手に、自分がベンチャー投資の専門家として(「教える」とまでは言わないものの)語る立場になったことに、少し驚きもしますが、自分を抜擢してくれた勤務先の社長と東大の各務教授にとても感謝しています。せっかくかけてもらった期待に背かぬよう、しっかり準備して良い内容にします。


起業・大学発ベンチャーセミナー
11月26日(木)18:00-20:00
第3回「大学発ベンチャーのExitを考える」
18:00-セッション@「目指せグローバル企業」
新日本有限責任監査法人 公認会計士 中野圭介氏
あずさ監査法人 マネージャー 公認会計士 石原寛一氏
19:00-セッションA「白馬の騎士を惚れさせろ」
(株)エム・ヴィー・シー(三井ベンチャーズ) プリンシパル 角田健治 氏

場  所:東京大学 産学連携プラザ(本郷キャンパス内) 2階大会議室
参加費:無 料
定  員:60名
主  催:東京大学産学連携本部事業化推進部
事務局:本部産学連携グループ
http://www.ducr.u-tokyo.ac.jp/kigyou/seminar/index.html
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2009年05月17日

運命的な出会いってあると思う?

ある人が尋ねた。
「運命的な出会いってあると思う?」

ある人が答えた。
「自分がそこから何かを得ようとしさえすれば、全ての出会いが運命的な出会いになる。例え、一瞬、すれ違っただけだとしても。」
posted by 角田 健治 at 00:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 語録 〜資本の部〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月04日

StrengthsFinder

数週間前に女友達から「StrengthsFinder」というものを勧められた。その時は「脳内メーカー」のような根拠のない占いサイトみたいなものかと思ったので、すぐにはやらなかったのだが、最近、親友のブログで取り上げてられていたので興味を持ってやってみた。結果は下記の通り。
 多くは、親しい人が見れば「そう、その通り!」と言いそうなくらい、普段から自他共に認めている内容なのだが、見方によっては長所とも短所ともなりうるようなことも、これだけ良い面にだけ光を当てて指摘されると、何だが自分がすごく才能に溢れているように見えて気分が良い。それが流行っている本当の原因ではないかという気もするが、何はともあれ、一つ自分にとって良かったことがあった。
 私は平均的な人よりも他人と摩擦を起こすことが多い。これを私の短所として指摘する人もいる。しかしこれは、StrengthsFinderで「指令性(command)」とされている、「対決を恐れない」性格によるものだ。そして、StrengthsFinderはそれさえも短所ではなく、長所となりうる資質(原語では「theme」)だという。ありがたい話だ。
 大したことではないが私の最も強い資質である「自我」、原語では「significance」となっている。日本語で「自我」というと「エゴ」とか「自己中心的」なイメージが強く、ちょっとネガティブな響きを孕んでいるように思うのは私だけだろうか?もう少しポジティブな「存在意義」とかに訳して欲しかったと思う。

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Clifton StrengthsFinder

次は、StrengthsFinderの結果に基づいて導き出された、上位5つの資質です。

StrengthsFinderでは、The Gallup Organizationが定める34の資質の存在を測定します。これらは、優れた業績を予測するための確実で安定した指標であるとされています。個人の持つ優れた資質は、日々の行動に自然と表れるものです。その資質が強いほど、行動に表れる傾向も強くなります。

その人が本来持つ強力な資質に注目することで、それらの資質を強みの基礎として活用し、ほぼ完璧な形で一貫した能力を発揮し、仕事、学術、プライベートの面で成果を上げることができます。


自我

あなたは、他人の目にとても重要な人間として映りたいのです。もっとはっきり言えば、あなたは認められたいのです。あなたは聴いて欲しいのです。あなたは目立ちたいのです。あなたは知られたいのです。具体的には、あなたの持ち前の強みによって人に知られ、評価されたいのです。あなたは、信頼でき、プロフェッショナルであり、そして成功している人として、尊敬されたいと感じています。同時に、あなたは信頼でき、プロフェッショナルで、成功している人とだけつきあいたいのです。もしそういう人でないと、あなたは彼らがそうなるまで圧力をかけるでしょう。彼らがそうならないなら、あなたは彼らを置いて先へ進むでしょう。独立心の強いあなたは、仕事を単なる仕事そのものではなく、自分の人生そのものにしたいと考えています。そしてその仕事の中で、好きなようにやらせて欲しい、又は自分のやり方でやるための余地を与えて欲しいのです。あなたのこのことに対する熱い思いは非常に強く、あなたはこれらを実現しようとします。ですからあなたの生活は、強く求める目標、成果、地位であふれています。何に焦点を当てていようとも――一人によって異なりますが――あなたの「自我」という資質は、中途半端から優秀な状態へとあなたを向上させ続けます。これが、あなたをより向上させ続けている資質なのです。


コミュニケーション

あなたは説明すること、描写すること、進行役を務めること、人前で話すこと、書くことが好きです。これにはあなたのコミュニケーションという資質がよく現れています。アイデアはアイデアに過ぎません。事実は、その時々に起こったことに過ぎません。あなたは、それに命を吹き込み、活力を与え、刺激的で生き生きとしたものにしなければならないと感じます。そこであなたは、「単なる事実」を「物語」に転換させて、それを上手に語ります。単なる「アイデア」を取り上げ、イメージと具体例と比喩を使って生き生きとさせます。あなたは、たいていの人は集中力が続く時間がとても短いと思っています。彼らは情報の洪水に見舞われていますが、情報はほとんど頭に残っていません。あなたはあなたが伝えたい情報を――それがアイデアであろうと、事実であろうと、製品の特性や特徴、何かの発見、あるいは教訓であろうと――人々の心に残したいと考えます。あなたは彼らの関心を自分に向けさせ、捉えて放さないようにしたいと思っています。あなたが、最適な言い方を探そうとするのはこのためです。あなたが、ドラマチックな言葉や力強い言葉の組み合わせを使おうとするのは、このためです。人々があなたの話を聴きたがるのはこのためです。あなたの言葉で描かれたイメージは彼らの興味をそそり、彼らの見方を刺激して行動へと啓発するのです。


戦略性

戦略性という資質によって、あなたはいろいろなものが乱雑にある中から、最終の目的に合った最善の道筋を発見することができます。これは学習できるスキルではありません。これは特異な考え方であり、物事に対する特殊な見方です。他の人には単に複雑さとしか見えない時でも、あなたにはこの資質によってパターンが見えます。これらを意識して、あなたはあらゆる選択肢のシナリオの最後まで想像し、常に「こうなったらどうなる? では、こうなったらどうなる?」と自問します。このような繰り返しによって、先を読むことができるのです。そして、あなたは起こる可能性のある障害の危険性を正確に予測することができます。それぞれの道筋の先にある状況が解かることで、あなたは道筋を選び始めます。行き止まりの道をあなたは切り捨てます。まともに抵抗を受ける道を排除します。混乱に巻き込まれる道を捨て去ります。そして、選ばれた道――すなわちあなたの戦略――にたどり着くまで、あなたは選択と切り捨てを繰り返します。そしてこの戦略を武器として先へ進みます。これが、あなたの戦略性という資質の役割です:問いかけ、選抜し、行動するのです。


指令性

指令性という資質によって、あなたは主導権を握ります。他の人と違い、あなたは自分の考えを他人に押しつけることを苦痛とは感じません。それどころか、ひとたび考えが固まると、あなたはそれを他の人に伝えずにはいられません。ひとたび目標が定まると、あなたは他の人をそれに同調させるまで安心できません。あなたは対決に怯えることはありません。むしろ、対決は解決策を見つけるための第一歩であることを知っています。他の人は不愉快な状況に立ち向かうことを避けようとするかもしれません。ところが、「事実」や「真実」がどれだけ不愉快なことであろうとも、それを示さなければならないと感じます。あなたは、課題が人々の間で明確に理解されていることを求めます。従って、あなたは人に、偏った考えを持たず正直であることを要求します。あなたは彼らにリスクに挑戦することを迫ります。彼らを怖がらせることすらあるかもしれません。これを嫌ってあなたのことを頑固と呼ぶ人もいるかもしれませんが、一方で、進んであなたに主導権を握らせることもしばしばあります。人々は、立場をはっきりと示し、周りの人にもある特定の方向に向けて行動するように求める人に魅力を感じます。だから、人々はあなたに惹きつけられるでしょう。あなたには強い存在感があります。あなたは指令性を備えた人です。


責任感

あなたは責任感という資質により、自分がやると言ったことに対しては何でもやり遂げようという強い気持ちを持ちます。それが大きかろうと小さかろうと、あなたは完了するまでそれをやり遂げることに心理的に拘束されます。あなたの良い評判はそこから来ています。もし何かの理由であなたが約束を果たせない時、あなたは相手に対してそれを何らかの形で埋め合わせる方法を無意識に探し始めます。謝罪では十分でありません。言い訳や正当化は問題外です。あなたは埋め合わせが終るまで、生きた心地がしません。このような良心、物事を正しく行うことに対する強迫観念に近い考え、非の打ち所がない倫理観、これらがすべてあいまって「絶対的に信頼できる」という高い評判を生み出すのです。人が新しい責任を誰かに任せる時、まずあなたに目を向けるでしょう。あなたがその責任を必ず果たすことを知っているからです。人々があなたに助けを求めてくるとき――すぐにそうなるでしょうが――あなたは選ぶ目を持たなければなりません。進んで事に当たろうとするあまり、できる範囲以上に仕事を引受けてしまう場合もあるからです。
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2008年01月02日

功ある者には禄を与えよ、徳ある者には地位を与えよ。

  昨年の終わり、投資先企業の社長が自社の研究部長を取締役にしたいと言ってきた。私は、そのこと自体は何ら問題ないと思ったが、一応、理由を聞くことにした。彼は、その研究部長にはこれまでにあんな功績やこんな貢献があると説明し始めたが、それらの功績や貢献のどれもが取締役にする理由にしては小さ過ぎるように私は感じた。しかも、歯切れが悪い。
  何かおかしい。
  そう思った私は、「昔から『功ある者には禄を与えよ。徳ある者には地位を与えよ。』という言葉があります。その研究部長の貢献にはボーナスか昇給で応えてあげても良いのではないですか?」と、言ってみた。すると、投資先の社長は急に真剣な口調になり、「実は・・」と本当の意図を話し始めた。
  その会社では、社員の過半数が研究員であったが、社外取締役に大学教授がいる以外、研究部門出身の取締役がいなかった。近々、新たにCFOとなる人物を取締役に加えようとしているが、研究部門の意見が通りにくくなるのではないかという不安が社内に広がっている。その対応策として、研究部長を取締役に加え、バランスを取りたいのだという話だった。その研究部長の研究員からの人望は確かだというので、納得した私は、「賛成」の委任状を出すつもりだと告げた。
  『功ある者には禄を与えよ。徳ある者には地位を与えよ。』
  この言葉は、私がプロクター・アンド・ギャンブルを退職した後、理想的な組織を作る方法を求めて、いろいろな人と話し、様々な書籍を読むうちに、最終的に行き着いた「褒章制度」である。ところが、この考えに行き着いたとほぼ同時に、それが途方もなく昔から伝えられている「人事の基本」だったことを知って愕然とした。
  日本では、西郷隆盛の言葉だとか織田信長の言葉だとか言われていることが多いらしい。しかし、これは、中国最古の歴史書である「書経」に『徳さかんなるは官をさかんにし、功さかんなるは賞をさかんにす。』という言葉で記されている。実在が確認されている中国最古の王朝である殷の創始者・湯王の時代、臣下が湯王へ献策した時の言葉らしいのだ。実に紀元前1600年、今から3600年も前のことである。
  書経は儒教の主要な経典である「五経」の一つであり、日本では、少なくとも朱子学の影響を強く受けていた明治くらいまで、おそらくは第二次世界大戦末期くらいまで、ある程度の文化人であれば知らない人のいないくらいの書物であっただろうと思われる。ところが、第二次世界大戦以降の日本では、戦前教育への反動から、儒教や朱子学を学ぶ人は激減し、次第に忘れられていたようだ。実際、上述の投資先の社長も還暦を超えた人物だが知らなかったと言っていた。
  私がこの言葉にたどり着けたのは、実は、GEにいたJack Welchの「能力と意欲あるものにはチャンスを与え、成果と貢献のあった者には報酬で応えよ。」という名言に出会ったおかげだ。この言葉に似たことが日本でも古来から言われているということが、東洋と西洋の共通点をテーマに取り上げていた本だったか雑誌の記事だったか忘れたが、そういったものに取り上げられていたので知ることができた。
  まず、意欲を持ち、能力を磨こう。チャンスを与えられたら、成果を出し、貢献しよう。そして、ガッポリ報酬をもらうのだ。その間、じっくり徳を積み、やがてふさわしい地位につけば良い。
  そんな事を考えていて眠れないまま、年を越してしまった。
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2006年06月05日

資本政策は会社のDNA

OGI先輩の言葉。
  多くの人にとっては「資本政策」そのものが何か分からないと言われてしまいそうだが、要するに「誰にどのくらい株式を割り当てるか」という戦略のことで、同時に、資金調達の計画でもある。
  親会社、子会社という呼び名にも現れているが、企業(特に上場していない未公開企業)にとって、誰が株主であるかというのは極めて重要なことであり、その会社の姿形や性格に多大な影響を与える。そのことを経営者に意識させたいシーンで用いる言葉。
posted by 角田 健治 at 22:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 語録 〜負債の部〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする