2012年09月23日

ホンモノの富裕層に会った

He was a great guy.
The gentleman seated next to me in the flight from New York to Brussels was an individual investor. He owned and managed a company of label printing, sold his stocks and moved to Malta, a tax haven, two years ago, though he is a Belgian, and then finally started a new life as an investor. It is a typical life style of wealthy people, though I am not sure how rich he exactly is.
What a coincidence. He loved to invest in publicly-traded bio-tech companies (e.g. NASDAQ-listed companies), though he did not have any scientific background. I am investing in earlier stage bio-tech in private, and he is investing in later stage bio-tech in public. The only difference was development stage of target company.
His strategy was unique. His targets were bio-tech companies conducting clinical trials, and a few months before announcement of the result of such a clinical trial. Generally speaking, stock price would jump up immediately after an announcement that a certain clinical trial was successful, and vice versa. When he predicted a successful result by his very special approach (this approach is a secret, though he told me in a low voice), he invested in the target company. Then, a few months later, he obtained a large capital gain. He was repeating it, and increasing his assets more and more. Very smart approach. Incredibly smart.
I felt like that I learned why he could become rich. There is a significant difference between thought of the rich and thought of the poor.
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2012年08月01日

The Servant, by James C. Hunter

休暇中、「サーバント・リーダー」を読んだ。1998年に出た本を2012年に再度翻訳したものらしい。ともかく、15年程前に書かれた本だ。
 キリスト教の修道院を舞台にしているので、少々宗教臭い部分は否めないが、「論語」などの中国古典を読んだことの無い人は、ぜひ読むべきだと思う。基本的に、既に部下を持っている人か、間もなく部下を持つ人が対象で、それより前の段階にいる人にはちょっと早すぎるかもしれない。
 それにしてもIT革命真っ只中のアメリカでこのような本が刊行されたという事実は興味深い。

 一言で言うと、「servant leadership」とは儒教の「仁」とほぼ同じ概念で、この本は、それをコンサル風に分析&理論化し、小説風に書籍化した本と言って過言ではないと思う。著者もこれが新発見というより再発見であることを自覚しているのではないかと思うが、元敏腕経営者の修道士によって修道院で行われるリーダーシップ研修を舞台にし、キリストやガンジーの例を挙げながら、主張を展開している。
 キリストが生きたのは言うまでもなく2000年前。孔子が生きたのは紀元前500年頃。要するに、少なくともそのくらい昔から文書化され提唱されていることと本質的には同じ。当然ながら、古典好きにとっては目新しい概念ではない。
 しかし、それを現代風に注釈を施した、もしくは、論理的に説明し直したおかげで、近代教育を受けた者、特に理系頭には理解しやすくなったと思う。そういう意味で、良い本だ。

 この本では、「権力」と「権威」を厳密に定義し、「権力」を用いて人を従わせることが終わった現代においては、「権力」ではなく「権威」を以って人を導くべきであると主張している。そして、「権威」を身に付けるための行動規範が提唱されている。
 この主張に至るまでの論理展開は、私がP&Gの研修でさんざん叩きこまれた「consumer is boss」というフレーズに代表される概念ととても似ていて、私にとっては理解しやすい話だった。
 正直に白状すると、私は中国古典好きで、「仁」については概念としてはよく理解していたつもりでいたが、具体的な行動規範にまで落とし込めていなかったことを思い知らされたし、いくつかの点で自身の行動を大きく反省する材料になった。

 良い本だと認めた上で敢えて言う。この本で提唱される行動規範は、言わば「平時の兵法」であって「戦時」にも使えるかどうかは疑問だ。
 言い換えると、ある程度の知性があり感情の起伏を抑えられる相手に対して、かつ、人間関係を築く時間的余裕がある場合に有効な手立てであって、そういう条件が揃わない環境下では成り立たないのではないかということである。
 いや、やはり、はっきり言おう。世に「力なき正義は無力」という言葉があるように、きれい事が成り立たない場面はある。

 この本の強烈な弱点は、この本の中でも問答の形で登場する。ここで提唱される行動規範を導入しようとした組織で、その行動規範を実行しない者がいた場合にどうするか、という問いに対し、いろいろ言葉を尽くして答えようとしているものの、要約すると「組織から追い出せ(もしくは、追い出すと脅せ)」という回答で、実につまらない。
 「権力」ではなく「権威」を用いてリーダーシップを発揮せよと提唱しておきながら、従わない者がいたら「権力」を以って排除せよと言っているのだから、理論的に脆弱と言わざるを得ない。
 実際、キリストは弟子に裏切られた上に処刑され、ガンジーは暗殺された。おそらく、「キリストもガンジーも、個人としては命を落としたが、その思想は死後も滅びなかった」と主張する人もいるだろう。しかし、この本が提唱する行動規範が通用しない相手がいるのは明白だし、この行動規範を用いてリーダーシップを発揮したいと思う人が個人として失脚することを喜ぶだろうかということを考えると、この本で提唱している行動規範は理論的に未完成な部分が残っている。

 そういう弱点はあるものの、「権力」を用いるのは最終手段とし、まずは「権威」を以って人の行動を引き出すことを善しとする考えには大いに賛成するし、ベンチャー企業でも大企業でも凡そ組織の長となるものは、そう心がけて欲しいと思う。自分自身も、「権威」を身に付けるために自らの行動を省みる必要を痛烈に感じた。
posted by 角田 健治 at 00:26| Comment(0) | TrackBack(0) | ベンチャーキャピタル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月31日

一票の格差是正

世代別選挙区という案があるみたいだけど、おそらく、80歳以上選挙区、60〜79歳選挙区、40〜59歳選挙区、20〜39歳選挙区からそれぞれ全議席数の25%ずつを選びましょうという感じなんだろうな。それでも今よりはずっと良いだろうけど、平均寿命がだいたい80歳なんだから、80歳以上は1人1票、60〜79歳は1人2票、40〜59歳は1人3票、20〜39歳は1人4票にして選挙をしたら、ちょうど良いんじゃないかな。利害を被る年数に応じた発言権って合理的じゃない?
posted by 角田 健治 at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月15日

「安定」を求め、「安定」によって滅ぼされる。

先進国と新興国の関係は、ある意味で、大企業とベンチャー企業の関係に似ている。そして、同じ意味で、老人と若者の関係に似ている。
 多くの人は「不安定」な状態から日々努力して「安定」を目指す。その過程で、能力を高め、経験を積み、人間的に実る。そうやって頑張って「安定」に辿り着くと、皮肉なことに、人は成長を止め、腐り始める。
 腐ろうと思って腐る人はいない。実際に「安定」に辿り着いた人がしたいと願うのは「現状維持」だ。問題は、「現状維持」をしようとしているつもりで、実際には「現状維持」にならないところにある。鉄を鍛えて作った刀をただ保管するだけでは錆びさせてしまうように、刀の刀としての性能を「現状維持」しようとすると磨き続けなければならない。この当然必要な努力を、皆、頭では分かっているのに、実際にできる人はとても少ない。
 起業家は事業を軌道に乗せようと、すなわち、事業を安定させようと努力する。そのために、製品やサービスを向上させ、事業規模を大きくしていく。やがて事業が安定してくる頃には、元「ベンチャー企業」は「大企業」の様相を呈し始める。それでも多くの場合、創業者はビジョンを描ける人であることが多いので、次々とビジョンを新しくして行けば、企業はある程度安定しながらもさらに成長し続けていくことは珍しくない。深刻に大企業病に罹り始めるのは、多くの場合、創業者が去った後だ。
 後継者は、創業者に倣おうとする。その姿を見る部下やさらに次の後継者達は、創業者を含む「過去の成功」に倣うことを善しとする風潮を生み出す。それは即ち大企業病の一つの特徴である前例踏襲主義を会社中に浸透させていくことに他ならない。こうなると新しい試みは生まれなくなり、社会の変化についていけなくなる。それでも一旦ある程度の規模に到達していると、それなりに経営できてしまうので、病状は更に悪化する。
 大企業に入社する人は大きく二種類に別れる。社会に大きな影響を与えたいという野心がある人と、「安定」が欲しい人だ。前者はアクセルになる。後者はブレーキになる。後者は「安定」を求めているつもりで、本人のささやかな幸せを望む気持ちとは裏腹に、実際には企業を腐らせ「不安定」な状態へと陥れていく。
 仕事柄、ここ数年は欧米先進国とBRICsなどの新興国の両方に頻繁に行くようになったが、これと同じことが国でも起きるのを体感する思いだ。知識として持っているのと体感するのはやっぱり違うもので、この仕事に就いてからカラダで理解したように思う。
 新興国の国民は良い意味で野心に満ち溢れている。国民と同じく野心に溢れ、国の成長を牽引している官僚や大企業社員は尊敬されている。それに対し、先進国の国民は野心に乏しく、ほどほどで良いと「現状維持」を望む。先進国では官僚や大企業社員はそれ以外の国民から尊敬されているとは言いがたい。妬みと軽蔑の入り交じった感情で見られているのではないだろうか。

 清流の水も流れを止めてしまうと淀んで濁り始める。

 人は、生きるために「安定」を求め、「安定」によって滅ぼされる。皮肉なものだ。
posted by 角田 健治 at 03:26| Comment(0) | TrackBack(0) | ベンチャーキャピタル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月30日

You can love your business, but...

"You can love your business, but the business never loves you"
--- 誰の言葉だったかな?
これを初めて聞いた時、仕事から逃げる言い訳のように思えて、大嫌いだった。
嫌いすぎて忘れられない言葉になったけれど、
不思議なことに、
仕事でイヤなことがあって、
腹が立った時、
イライラした時、
つらくなった時、
悲しくなった時、
辞めたくなった時、
逃げ出したくなった時、
なぜかこの言葉を思い出して、
「そんなに気にしなくて良いじゃないか。たかが仕事に過ぎないのだから。」と気分を和らげてくれる。
そして、落ち着いてくるとすぐに、やっぱりこの言葉が大嫌いで、
「逃げてはダメだ。ちゃんと取り組もう。」と前向きに思えるようになる。
・・・不思議な言葉だ。
posted by 角田 健治 at 00:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 語録 〜負債の部〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月08日

Steve Jobs

慌ただしい一週間が過ぎ、ようやく休日を迎えたので、ずっと観たかったSteve JobsのStanford大学卒業式でのspeechを観た。普通に見たら、有名な「Stay hungry. Stay foolish」が一番印象に残るのだろうが、彼が亡くなった今見ると、「It (= death) clears up the old to make way for the new」という言葉が何だかズシッと響いた。
 次の世代に道を譲る前に、次の世代を育てなければならない。彼はおそらくちゃんとやったのだろうが、私はそれをしていない。それどころか、自らの成功さえまだ掴めていない。

 彼は、「connecting dots」と言っていたが、今やっていることが未来のどこかに繋がっている。繋げようとして繋がるものではないだろうが、必ず繋がると信じていれば、今の自分がしていることに自信が持てる。その感覚はとてもよく分かる。逆に、未来に繋がっていない気がすると、努力が虚しく感じられる。

 彼は、「I was lucky. I found what I love to do, in early in life」と言っていた。今の私は、世界を変えるベンチャー企業を生み出す(可能性がある)今の仕事を結構愛しているし、その仕事に就けた自分はそこそこラッキーだと思っているが、「可能性がある」という段階に留まっていることが問題だ。現在進行形で「世界を変える仕事をしている」と自信を持って言えるようになれば、今よりもっとラッキーだと言えるようになるのではないかと思う。

 彼は、「Your time is limited. So, don't waste it, living someone else's life.」と言っていた。これは決して「他人を無視して、自己中心的に好き放題に生きろ」という意味ではない。前後の文脈を踏まえれば「(常識や定説などの)他人の考えに従って生きるのではなく、自分自身の考えに従って生きろ」という意味だと思う。
 当たり前だが、自分の思った通りに行動して、ちゃんと目標に到達できる人は強く賢い人だ。弱く愚かな者がこれを猿真似すると破滅する。つまり、自分が思うように自分の人生を生きるには、強く賢くならねばならない。「強く賢く」と書くととても凄い人に見えるが、ここで言っているのは、自分のやりたいことをやるのに「必要な因子を持っている」ということだ。世界を変えるのに必要な因子は多い上に難易度も高いだろうが、静かに生きるのに必要な因子はそこまで難しくはない。医者になるには努力も資金も時間も必要だろうが、単純労働従事者になるにはそこまで難しくはない。謂わば、「身の程を知る」という言葉が教える現実は存在するのだが、しかし、敢えて「身の程なんて知るな」というのが「Stay hungry. Stay foolish.」というメッセージでもある。
 世間の多くの人が「身の程知らず」とバカにするようなことに成功する人がいる。これは、「世間の多くの人は知らないが、客観的事実としてはちゃんと必要な因子が揃っていて、そのことを本人だけは分かっていた」という状態なのだと思う。そういう状態の時、他人の意見など聞いてはいけない。地球が平らだと信じている人の意見を聞いていたら、Columbusは新大陸を発見できなかったのだから。これは「Stay hungry. Stay foolish.」の典型だろう。
 彼が亡くなる少し前の8月11日、Appleの時価総額はExxon Mobileを抜いて世界最高だった。
 Columbusは新大陸を発見したが、Steve Jobsは新大陸を創ったようなものだった、と言ったら言い過ぎだろうか。
posted by 角田 健治 at 13:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 語録 〜負債の部〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月06日

耳は広く、目は的に

 今日、異業種交流会にて、他人から受けた質問に答える際、咄嗟に出た言葉。
 自分の目標達成に役立つ情報がいつ引っかかるかなんて分からない。耳は、常に情報収集に貪欲であらねばならない。一方で、目的から大きく外れたことに労力を割いていてはいつまでも経っても到達しない。目は、常に目標を見つめて、誤った方向に進まないようにせねばならない。
 これが大事を成す者の姿勢だと思う。
posted by 角田 健治 at 01:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 語録 〜資本の部〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月11日

モンゴル

 草原を馬で疾走したいと思い、9月6日から一週間ほどモンゴルに行っていた。途上国に行くといつも起きることだが、やっぱり少しお腹が痛い。それはともかく、期待以上の旅になり、満足だった。

 成田からウランバートルへ直行便で移動後、ウランバートル市内で一泊。
 翌朝、50kmほど離れたウランバートル郊外のツーリストキャンプへ移動する途中、遊牧民のゲルを訪問し、家庭料理(というか、馬乳酒と自家製乳製品)を味見した後、馬の乳絞りを体験し、モンゴル相撲をした。馬乳酒は有名なので、一度は飲んでみたかったが、体質的に一切アルコールが飲めないので、文字通り、一舐めしただけ。ヨーグルト風味の炭酸飲料のような味だった。大塚製薬のsoyshと少し似ている。アルコール度数は3%程度らしく、遊牧民達は水代わりに飲んでいた。というか、彼らはほとんど水を飲まず、代わりにミルク(牛、馬、羊、山羊のどれか)か馬乳酒を飲むらしい。たいてい魔法瓶に入ったホット・ミルクが出される。それも単なるミルクのことは少なく、少しお茶の葉を混ぜて、ミルク度が高いチャイのような状態で、それが彼らにとっての「お茶」らしい。自宅で牛乳を水代わりに飲んでいる私には「あり」だったが、同行していた他の旅行客には不評だったようだ。
 チーズはいろんな種類があるが、堅かったり酸味が強すぎたりして、あまり好みのものがなかった。そんな中、唯一、食べやすかったのは「生バター」だった。牛乳を煮詰めて作っているらしいが、生クリームとバターの中間のような見た目で、甘くないカスタードクリームのような味。パンに塗って食べると、いくつも食べられる。

 三日目、ついに乗馬。一日に6時間も乗るのは初めての試みだったが、私の技量では前半の3時間で既に脹脛と太腿がパンパン。日本でも何度も乗っていて駈足までは一応できるので、馬の持ち主であるモンゴル人遊牧民と一緒に最初から激しく走り過ぎた。しかし、それに勝るほど楽しい。
 モンゴルの馬は、サラブレッドより一回り小さく、揺れも小さいので乗りやすいと聞いていたが、実際は揺れが小さいからというより調教が行き届いているから乗りやすいと言った方が良い印象。日本の馬のように大事にされていないので、その分だけ従順なのではないかと思った。
 四日目、さらに乗馬3時間。不思議なことに脹脛の痛みは消えていたが、太腿、腰、背筋の筋肉痛が激しい。それでも、このために来たのだからと馬に乗った。この日の同伴者は、他の旅行客が乗馬をキャンセルしたので、ツアーガイドと遊牧民の二人だけ。ツアーガイドも遊牧民出身なので、乗馬は自転車に乗る程度のことらしく、上手いし、私と違って身体のどこも痛くないらしい。
 他の客がいないので、三人と三頭で走りまくった。身体は痛かったが、しばらくすると麻痺してきて、痛みを感じながらも楽しめる程度になったので、馬を全力疾走させて競争したり、駈足で十数分くらい何キロもの距離を走り続けたりしていた。
 一緒に走った遊牧民は疾走時に、鐙の上に立ち、馬の背に一切触れずに乗っているのに気付き、少し教えてもらいながら、真似をして、「立ち乗り」を覚えた。何度も落ちそうになったが、いったん、できるようになると、これは尻が痛くないので、なかなか良い。
 私が立ち乗りをできるようになると遊牧民が馬に乗ったまま掴みかかってきて、驚いていると、ツアーガイドが「モンゴル人は、馬で走りながら相手を掴んで馬から引きずり落とすという遊びをします」と平気な顔で言う。片手で鞍を掴み、もう一方の手で引っ張り合いをしつつしばらく走った。何とか落とされずに済んだが、客相手に恐ろしいことをするヤツだと大笑いした。私がそこそこ乗れたのと、年齢が近かったので、親近感が湧いたのだろう。そう思ってもらえるのは私も嬉しい。
 前日も含めて9時間、もはや何キロか分からないほど走ったが、「どこまでも行っても、草原」という状態を大いに堪能した。ところどころ遊牧民のゲルがあり、家畜の群れがいるが、だいたい視界の届く範囲に他のゲルが見えることは稀で、お隣さんとの距離はかなり離れている。「広い」という言葉が物足りないくらい広い。景色もほとんど一緒なので、遠くの山の見える角度でおおよその位置を測っていた。
 そんな果てしなく続く草原を、馬と一体となって風に成るような爽快感は忘れがたい。
mongolia.jpg

 五日目、ウランバートル市内を観光。思っていたよりずっと豊かなようで、結構良いクルマが走っている。街の様子は、ジャカルタをやや上回るが、北京にはほど遠い発展具合の街という印象。それでもジャカルタ以上というのが、意外だった。人口わずか270万人の国だが、自由経済に変えて20年、ある程度上手く行っているのだろう。ジャカルタではバイクが主流だが、モンゴルではバイクはほとんど走っておらず、圧倒的にクルマ、それもSUVが多い。冬は-40度にもなるモンゴルでは夏くらしいしかバイクが使えないし、舗装されていないところを走行することが多いからだろう。しかし、途上国らしく、運転マナーはとても悪い。

 今回の旅行で最も印象的だったこと3つ。
 1、遊牧民の気配りの細やかさ。以心伝心という言葉があるが、言葉を使わなくとも、仕草や視線で他人が何をしたがっているかを読み取って、それを手助けしてあげる力が、とてつもなく強い。日本では「かなり気の利く人」が遊牧民では「平均」に見えた。最初に驚いたのはクルマの運転手だった。サービス業だし、たまたまその人だけかと思っていたら、その後もずっと続く。会う遊牧民(遊牧民出身者を含む)が、皆、そんな調子なので、どうやらこれは遊牧民全体に共通することなのではないかと思った。ウランバートル育ちの人は違うようだ。私がそう思ったという話を遊牧民の中年男性にしたら、「遊牧民の生活ではそういう能力が無いと上手くやっていけないからだろう。そういう能力を日本人が失ってしまったのなら、日本は残念だな。」と言われた。ごもっとも。
 2、戦闘民族の文化。乗馬で突然仕掛けられた引っ張り合いもそうだったが、ちょっと親しくなるとすぐにモンゴル相撲だとか腕相撲だとか、とにかく力比べをしたがる。わけを聞くと、モンゴル人の宴会は、いつも最後にケンカをするらしい。ただ、よく話を聞いてみると、日本で言うケンカのようにいがみ合って始まるケンカではなく、格闘技の試合のような取っ組み合いを指しているようだった。遊牧民の生活や育った環境を聞いていると、どうやら、彼らの「遊び」には「戦い」の要素がやたらと多く含まれているという表現が正しそうだ。
 3、天地の本来の姿。夜の天と、昼の地である。馬で駆け回った草原は久々に「大地」という言葉を思い出させてくれた。「土地」ではなく、「大地」である。モンゴルに着いて間もない頃、どこの草を自分の家畜に食べさせるかで遊牧民同士が争うことはないのかと訊いたら、「無い」という回答だった。基本的に早い者勝ちで、先に誰かがいたら、他へ行く。草なんていくらでもあるのに、どうしてそんな事で争わなければならないのかと不思議そうだった。それもそうだろうと思う。この広い大地を見ていると、小さな土地を争うことがバカバカしく思える。そして、夜になると見える星空。素晴らしかった。まず、雨の少ない気候なので、雲がほとんどない。クルマで少し移動すれば、視界の届く範囲に全く光がない場所から空を見上げられる。この二つの理由で、プラネタリウムのように何にも邪魔されない完全な空を見ることができる。東京だと天の川がどこにあるのかよく分からないような程度にしか見えないが、ここでは、探す必要もないほどハッキリと見える。肉眼では六等星が限界だと言うが、もう一段暗い星まで見えているのではないかと思うほどの星の数。流れ星も数分に一回くらいの頻度で見える。これが本来の天地の姿なのだろうと思った。
posted by 角田 健治 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月23日

雑誌デビュー♪

と言っても、ほんの少しですが、3月24日発売のGQ JAPAN 5月号に掲載されました。92ページです。

 東京大学の産学連携本部では、毎年、『アントレプレナー道場』という講座(と言っても単位は出ない)を開いていて、2009年度から私もそこで東大生相手にメンターとして指導しています。このアントレプレナー道場がGQに取り上げられたので、私もめでたく取り上げてもらったというわけです。
 メンターは十数人ほどいて、弁護士、会計士、コンサルタント、銀行員などなど、みなさん何らかの形でベンチャー企業と接している人たちです。
 アントレプレナー道場には初級から上級まで三段階あって、段階を進むごとに人数を絞っていきます。そして上級に辿り着いた学生には3〜5人くらいのチームを作ってもらい、各チームに私たちメンターが1〜2人付いた上で、ビジネス・プランを一つ作ってもらうという仕組みです。
 今年、私が担当したチームには教え甲斐のある学生がいて、ついついこちらも熱が入る感じでしたが、結局、このチームは、アントレプレナー道場卒業後もそのビジネス・プランを発展させて、キャンパス・ベンチャー・グランプリ全国大会で3位を獲得したそうです。私の手を離れた後にも関わらず、この活躍のおかげで私が雑誌の取材を受けることになったようです。ありがたい話です。

 今回掲載された私のコメントは、ページの1/6程度に収まる程度のものでしたが、実は、これは1時間のインタビューの成果です。しかも、文章の校正も2回やっています。わずか1/6ページにそれだけのエネルギーを注ぎ込んで雑誌というものは作られているのだなぁと実感すると、その雑誌一冊がとても重いものに感じられます。
 今後、雑誌を買ったら、1ページも粗末に扱うことなく読まなくては申し訳ないなと今日は思いました。・・・なかなか実行するのは難しいですけどね。
posted by 角田 健治 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ベンチャーキャピタル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月16日

セルシード 上場

セルシードがJASDAQ NEOに上場した。私にとって、4社目となる投資先企業の上場だ。公募割れだったが、ともかく、一つの壁を突破したことを祝いたい。

 セルシードに最初に投資したのはもう4年以上も前だ。角膜の再生医療を手掛けるベンチャー企業で、私がベンチャーキャピタリストという職業に就く前、雑誌に取り上げられているのを見て履歴書を送ろうかマジメに検討した会社だ。その時は、博士号を持つ研究員を募集していたので、修士の私ではダメだろうと諦めたが、その頃から注目していたので、投資案件として目の前に現れた時は、最初から投資する気で臨んだ。明らかにそのせいだが、今から思えば、かなり甘い調査で投資しており、投資してから半年くらいで自分の調査が甘かったことを思い知る羽目になった。
 調査不足だったのは厚労省の動きだ。
 当時の私はまだまだ駆け出しで、その重要性が分かっていなかった。すなわち、ちゃんと書類を出せば治験ができると思っていたのだが、全くの認識不足だった。
 再生医療や遺伝子治療などの先端技術には、当時の厚労省は今以上にとても慎重で、それらを開発していたベンチャー企業は軒並み足止めを食らっていたのだ。
 2006年頃のセルシードもまさにそうだった。おそらく2年近くほとんど進展が無かったのではないだろうか。
 しかし、この会社は、ある日、プラチナ・チケットを手に入れた。フランスの角膜手術の権威が関心を持ち、その人の導きでフランスで治験ができるようになったのだ。
 また、とても優秀な人材をCFO(後にCSO:最高戦略責任者も兼務)に迎え入れることができたこともあって、この会社は「問題児」から「有望な投資先」に変貌を遂げた。
 この一連の過程を見ていて、私は「技術が良いだけではベンチャーは成功しない」「企業は人である」という認識を心に深く刻んだ。
 研究開発型ベンチャーが陥りやすい罠に一度はどっぷりはまりながらも、それから這い出し、見事に飛躍して見せたセルシードは、私にとって、特に思い出深い企業の一つだ。
posted by 角田 健治 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ベンチャーキャピタル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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