2005年12月21日

ウォームビズ苦戦

http://nikkeibp.jp/wcs/leaf/CID/onair/jp/biz/418284

  クールビズの半分の実施率らしい。政府のクールビズ推進活動は「成功」と呼んで良いと思うが、クールビズが成功したからと言って、クールビズと同様の取り組み程度でウォームビズも成功すると考えるようでは、あまりにもマーケティングの基本がなっていない。

  クールビズが成功した背景には、ヒトという動物にとって「軽装の方がラク」という根源的なドライバーがある。もちろん、ビジネスシーンのカジュアル化を認める価値観が出来つつあるという時代のトレンドだとか、環境意識の高まりなどもドライバーなのだが、「軽装の方がラク」というドライバー以外はクールビズもウォームビズも同じ条件で普及率の違いを生む要素ではない。
  つまり、この結果は、暑い時に暑さに耐えなくて良いというのはユーザーニーズにマッチしていたが、寒い時に寒さに耐えなさいというのはユーザーニーズにマッチしないというだけのことを如実に表している。本来やりたくないことをやるという苦痛を強いるタイプのプロモーションをかけるなら、快楽を与えるタイプのプロモーションの何倍もの工夫と努力が必要なのは自明の論理だろう。
  とはいえ、25%まで普及させただけでも、結構健闘した方かもしれないとも思う。
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2005年08月28日

プレイステーション成功の鍵とは

先日、プレイステーション開発プロジェクトの中核メンバーだった人の話を聞く機会があった。

  当時はゲームが2Dから3Dへと移行する過渡期に当たるが、それまでのゲーム業界は任天堂とセガがハードウェア(家庭用ゲーム機本体)を作っていて、スーパファミコンを持つ任天堂が圧倒的なシェアを持っていた。そこに、ソニーからPS、松下から3DO、NECから○○(失念)、バンダイから○○(忘れた)などが発売され、一時的なハード乱立時代を迎えた。任天堂とセガも新機を出したが、最終的にゲーム業界新参者のソニーが勝利を収め、今に至る。
  これらのハード乱立初期、ソニーの勝利を予測した人は少なく、多くの人は任天堂が勝つと思っていた。その大きな理由の一つはソフトで、当時はセガを除く全ての大手ソフトメーカーが任天堂と強い結びつきがあり、3Dの次世代機になっても任天堂の地位は崩れないと思われたからだ。しかも、任天堂以外のハードは32ビット機(バンダイのみ8ビット、スーパファミコンは16ビット)で、任天堂が予定していた64ビット機(Nintendo 64)の方が性能で勝っていた。
  それにも関わらず、ソニーが勝ったのはなぜか。一般には、2強RPGの一角である「ファイナルファンタジー」を擁するスクウェアが任天堂と決別してソニー側についたのが引き金になったと言われている。それを見て、2強RPGのもう一角である「ドラゴンクエスト」を擁するエニックスがソニー側に付き、PSの勝利が決定的になった。この時の任天堂の失敗は、16ビットから一気に64ビットにしようとしたために、他社の32ビットマシンよりN64の発売が1年以上遅かったことだと言われている。待ちきれなかったソフトメーカーが離反した、というわけだ。
  さて、以上は一般に理解されているハードウェア競争の勝因と敗因だが、冒頭のPS開発者によると、もっと大事なことがあったらしい。

  当時のソニーにおいて、ゲームは社内ベンチャー的なプロジェクトだった。ゲームビジネスが「外れれば三振、当たれば場外ホームラン」のハイリスク/ハイリターンなものであることは今も当時も常識である。それゆえ、当時のソニーでは毎月PSプロジェクトを続行するかどうかの決裁を取っていたらしい。要するに、毎月の取締役会で一度でもネガティブな報告があれば、打ち切りになっていたかもしれない状態だったわけだ。
  PSのスペックなどが決まり、試作機ができた頃、開発チームの人たちはソフトメーカーを回ってPS用のソフトを作ってくれるよう売り込みに行ったが、「3Dで面白いゲームなんて作れない」「300万台売れたらもう一度来てくれ」と、どこも相手にしてくれなかったらしい。ソフトメーカーの立場からすれば、3Dゲームを作るのは2Dと比べ物にならないコストがかかるし、何台売れるか分からないハード向けのソフトを作るのも大きなリスクなので、そういう対応だったのは無理もない。
  このままソフトメーカーがつかずにPSプロジェクトは終わるのかと思った頃、東京ゲームショーが開催され、彼もそれを視察に行った。すると、会場の入り口で、つい2週間前にPS参入を断ったソフトメーカーの社長が彼を捕まえて「待ってたよ。例の次世代機、今すぐ商談をしよう」と言われたそうだ。当時はケータイもなく、何が起こっているのか訳も分からぬまま、近くのホテルの一室を借りて一通り話し終え、ゲームショーの会場に戻ったのは4時間後だった。そこで、ひときわ人だかりの出来ていたセガのブースを覗いて、初めて事態を理解したという。「バーチャファイター」だ。
  「バーチャファイター」はセガが開発した世界初の3D対戦格闘ゲームだ。当初はゲームセンター向けに作られたが、やがて家庭用に移植され、セガサターンの売上に大きく貢献した。この「バーチャーファイター」を見た上述のソフトメーカー社長が即座にPS参入を決意したらしい。社名は伏せていたが、たぶんカプコンかナムコだろう。カプコンはPS黎明期に「バイオハザード」をヒットさせ、ナムコは「鉄拳」で一稼ぎした。
  その後、このソフトメーカー以外にも複数のメーカーがPS参入を決めたことでPSプロジェクトが打ち切りにならずに済み、PSの発売決定へと至ったそうだ。つまり、そのタイミングで「バーチャファイター」が発表されていなければ、PSは発売さえされていなかった可能性が高いということであり、まさに「その時、歴史が動いた」わけだ。
  それにしても、PSは競合であるセガの新作発表によって助けられたわけで、セガ側から見れば何とも皮肉な話である。

  プレイステーション成功の鍵は、「バーチャファイター」。
posted by 角田 健治 at 19:35| Comment(0) | TrackBack(0) | ベンチャーキャピタル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする